思い出7
2007年4月23日唐突過ぎて意味不明かもしれない。
前回までの流れは下記アドレスを参照していただきたい。
気が向いたのでずいぶんと突飛ではあるが続きを述べてみようと思う。
【思い出1】http://diarynote.jp/d/71361/20060617.html
【思い出2】http://diarynote.jp/d/71361/20060624.html
【思い出3】http://diarynote.jp/d/71361/20060630.html
【思い出4】http://diarynote.jp/d/71361/20060703.html
【思い出5】http://diarynote.jp/d/71361/20060712.html
【思い出6】http://diarynote.jp/d/71361/20061201.html
それまでの優しいお兄さんの態度を豹変させ、
おぞましい表情を浮かべ始めるその姿はまさにあの忌々しき《溶岩の巨人》(5話参照)。
溶岩の巨人「常識的に考えてここでのキャンセルはありえないだろ」
俺「このカードを提供するなんて一言も言ってませんが」
溶岩の巨人「8点ダメージに値する!!!!1」
(会話の詳しい内容はよく覚えていない。)
一色触発の空気に包まれはしたものの、
店主の仲裁を挟んで騒然としたデュエルスペースは平穏を取り戻す事になる。
流石にこのような事態は2度とは起こりえなかったものの、
当時の俺の頭の悪さが窺い知れるワンシーンであった。
カードの価値を知る事はカードゲームをする上で直接的なアドバンテージに直結する事を再確認した俺は、
情報収集手段を今までのネットで検索という手段から書店での立ち読みという至ってノーマルな方法に切り替えた。
当時プレイしていたMTGは本当に偉大で、専門の書籍や雑誌なんかが普通に書店に配してあるゆえ、
俺がトーナメントシーンのデッキを学習していくのにさほど時間はかからなかった。
当時のMTGのスタンダード環境はインベイジョン+オデッセイ+7版からなるもので、
主観でしかないが一際値の張るレアが多かったように思える。
また、当時の俺のこずかいは500円という一種の奇跡であり、
1パック500円した時代に生きていた俺からするにこの遊びは絶望的なように思えた。
だが前述したように俺のパックからの引きの強さは尋常ではなく、
パックを買う都度《獣群の呼び声》を引き当てたり、
程なくして《蝕み》や《吸収》を4枚ずつ手中に収めたりと、
カードゲームをやるに際して非常に恵まれた性質を兼ね揃えた人間であったと共に、
こずかいの全てをパックやシングルの購入に平気で費やす友人も多かったため、
環境的にも恵まれたポジションに居た事は今考えてみても幸いな事である。
唯一の難点をいえば、他ならぬ「対戦機会の少なさ」であり、
俺の住む地域にはMTGプレイヤーの集まるショップが皆無に等しく、
対戦相手はいつも変わらぬ友人間同士であり、
やはりそんな中だと強弱関係が明確化されやすい。
友人S「予言の稲妻!」
俺「蝕み」
友人S「な・・・稲妻の天使!」
俺「魔力の乱れ」
友人S「(’A`)」
俺「激動。3マナ残してサイカトグ。」
友人S「\(^o^)/」
友人同士が集まっても、カード以外の遊びが割合増えていったのはこの頃である。
彼らはトーナメントベルの高度な戦いを求めてはいなかった。
楽しく、思わず笑いがこぼれてしまう様な、カジュアルなゲームを良しとしていたのだ。
当時の俺はパーミッションをこよなく愛した身であったが故にウザイデッキを保有する事も多く、
空気の読めなさもそれなりに備えている万能キャラであることも重なり、
周囲がMTGからの情熱に冷めていることになかなか気付けず、
引退する友人が増加していく中その流れに従い、
結局一度も大会等に顔を出すまでも無く引退する結果となった。
最後にそれに関わる話を一つ。
友人間唯一の、それでいて重度の天然キャラである友人Hは周囲の引退事情を把握しておらず、
一人黙々と上位陣に追いつこうと日々調整を重ねていた。
俺たちがMTGから完全に撤退したのは中学1年の事であり、
彼がその衝撃の事実を知ったのは中学卒業に際する打ち上げでの出来事だった。
前回までの流れは下記アドレスを参照していただきたい。
気が向いたのでずいぶんと突飛ではあるが続きを述べてみようと思う。
【思い出1】http://diarynote.jp/d/71361/20060617.html
【思い出2】http://diarynote.jp/d/71361/20060624.html
【思い出3】http://diarynote.jp/d/71361/20060630.html
【思い出4】http://diarynote.jp/d/71361/20060703.html
【思い出5】http://diarynote.jp/d/71361/20060712.html
【思い出6】http://diarynote.jp/d/71361/20061201.html
それまでの優しいお兄さんの態度を豹変させ、
おぞましい表情を浮かべ始めるその姿はまさにあの忌々しき《溶岩の巨人》(5話参照)。
溶岩の巨人「常識的に考えてここでのキャンセルはありえないだろ」
俺「このカードを提供するなんて一言も言ってませんが」
溶岩の巨人「8点ダメージに値する!!!!1」
(会話の詳しい内容はよく覚えていない。)
一色触発の空気に包まれはしたものの、
店主の仲裁を挟んで騒然としたデュエルスペースは平穏を取り戻す事になる。
流石にこのような事態は2度とは起こりえなかったものの、
当時の俺の頭の悪さが窺い知れるワンシーンであった。
カードの価値を知る事はカードゲームをする上で直接的なアドバンテージに直結する事を再確認した俺は、
情報収集手段を今までのネットで検索という手段から書店での立ち読みという至ってノーマルな方法に切り替えた。
当時プレイしていたMTGは本当に偉大で、専門の書籍や雑誌なんかが普通に書店に配してあるゆえ、
俺がトーナメントシーンのデッキを学習していくのにさほど時間はかからなかった。
当時のMTGのスタンダード環境はインベイジョン+オデッセイ+7版からなるもので、
主観でしかないが一際値の張るレアが多かったように思える。
また、当時の俺のこずかいは500円という一種の奇跡であり、
1パック500円した時代に生きていた俺からするにこの遊びは絶望的なように思えた。
だが前述したように俺のパックからの引きの強さは尋常ではなく、
パックを買う都度《獣群の呼び声》を引き当てたり、
程なくして《蝕み》や《吸収》を4枚ずつ手中に収めたりと、
カードゲームをやるに際して非常に恵まれた性質を兼ね揃えた人間であったと共に、
こずかいの全てをパックやシングルの購入に平気で費やす友人も多かったため、
環境的にも恵まれたポジションに居た事は今考えてみても幸いな事である。
唯一の難点をいえば、他ならぬ「対戦機会の少なさ」であり、
俺の住む地域にはMTGプレイヤーの集まるショップが皆無に等しく、
対戦相手はいつも変わらぬ友人間同士であり、
やはりそんな中だと強弱関係が明確化されやすい。
友人S「予言の稲妻!」
俺「蝕み」
友人S「な・・・稲妻の天使!」
俺「魔力の乱れ」
友人S「(’A`)」
俺「激動。3マナ残してサイカトグ。」
友人S「\(^o^)/」
友人同士が集まっても、カード以外の遊びが割合増えていったのはこの頃である。
彼らはトーナメントベルの高度な戦いを求めてはいなかった。
楽しく、思わず笑いがこぼれてしまう様な、カジュアルなゲームを良しとしていたのだ。
当時の俺はパーミッションをこよなく愛した身であったが故にウザイデッキを保有する事も多く、
空気の読めなさもそれなりに備えている万能キャラであることも重なり、
周囲がMTGからの情熱に冷めていることになかなか気付けず、
引退する友人が増加していく中その流れに従い、
結局一度も大会等に顔を出すまでも無く引退する結果となった。
最後にそれに関わる話を一つ。
友人間唯一の、それでいて重度の天然キャラである友人Hは周囲の引退事情を把握しておらず、
一人黙々と上位陣に追いつこうと日々調整を重ねていた。
俺たちがMTGから完全に撤退したのは中学1年の事であり、
彼がその衝撃の事実を知ったのは中学卒業に際する打ち上げでの出来事だった。
コメント